道成寺について

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紀州道成寺

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道成寺について

和歌山県最古の寺、天音山道成寺は
大宝元年(七〇一年)に創建されました。
本堂など重要文化財の建造物や、
国宝、文化財指定の仏像などを
お祀りしています。

和歌山県最古の寺、天音山道成寺は
大宝元年(七〇一年)に創建されました。
本堂など重要文化財の建造物や、
国宝、文化財指定の仏像などを
お祀りしています。

慈悲の姿

仏教では「慈悲」を非常に大事なものと考えます。
たくさんの手と道具で困っている人を救おうとなさる姿で、慈悲心の大切さを表しているのが千手観音さまです。
このお姿には二つの意味がこめられているように思います。
つまり「私を助けようと待ち構えて下さっていた」お姿でもあり、「私も他の人のために何かしよう」という勇気を分け与えて下さるお姿でもあるのです。

日本有数の、
千手観音の寺

千手観音様は日本でも古くから信仰されてきましたが、その教えを体系的 に示したお経「千手千眼陀羅尼経」は、天平七年(735)に日本にもたらされました。
道成寺は大宝元年(701)に着工され、ちょうどそのころお仏像を造ろうとしていたと思われます。
講堂のご本尊として千手観音像(奈良時代・重文)がおまつりされました。
この千手観音様は、日本で三番目の千手観音様で、1300年たった今も本堂に立ち続けておられます。

紀州道成寺

歴史

鐘巻銅鐸
1800年前 国内最大級の銅鐸

宝暦12年(1762)、道成寺の南にある水田から弥生時代の銅鐸が出土しました。豪華な装飾と精美な形状を持つ非常に珍しいこの銅鐸は、発掘場所の地名から「鐘巻(かねまき)銅鐸」と呼ばれています。116センチ以上もある大型のもので、音を鳴らすのではなく装飾を見る目的で作られたと考えられています。

道成寺空撮画像
1400年前 古代豪族の古墳群

道成寺のある日高川河口部周辺には多くの遺跡が遺されています。発掘調査で広範な地域の特徴を持つ遺物が見つかったことから近隣地域との活発な交流が窺え、この付近が周辺と比べても中心的な集落であったことが分かります。古墳時代には村々を支配する上層階級の豪族が、数々の墳墓を遺しました。

道成寺境内
1300年前 仏教のテラへ

大宝元年(701年)、藤原不比等の娘、聖武天皇の母にあたる藤原宮子の願いにより、文武天皇がこの地に道成寺を創建しました。以来1300年、安珍と清姫の事件や戦国期の混乱、天台宗への改宗などを経て、現在まで仏の教えを伝え続けています。

697年
文武天皇元年
文武天皇、藤原宮子を夫人とする
701年
大宝元年
文武天皇、紀州へ行幸。この年に道成寺創建と言い伝える。この頃、初代本堂が完成
720年
養老4
藤原不比等(宮子の父)死亡
725年
神亀2
葛井寺の千手観音像完成
735年
天平7
玄昉、千手千眼陀羅尼経はじめ5000部のお経を持ち帰る
754年
天平勝宝6
宮子姫死亡
756年
天平勝宝8
聖武太上天皇(文武と宮子の子)死亡
759年
天平宝字3
唐招提寺の千手観音像完成
800頃
道成寺の中門、回廊完成
816年
弘仁7
空海、高野山を開く。
822年
弘仁13
仏教説話集『日本霊異記』完成
850頃
現本尊の千手観音・日光菩薩・月光菩薩・四天王像完成
928年
延長6
安珍と清姫の事件
1040年
長久1
仏教説話集『大日本法華験記』完成
1357年
正平12
本堂を建て替える
1359年
正平14
二つ目の釣鐘を作る
1394頃
応永1
『道成寺縁起』が作られる
1500頃
能楽『道成寺』が作られる
1585年
天正13
戦乱で全財産を失う
1619年
元和5
紀州に徳川家が入る
1652年
承応1
天台宗に改宗する
1691年
元禄4
仁王門を再建する
1702年
元禄15
書院を建てる
1707年
宝永4
十王堂(えんま堂)を建てる
1709年
宝永6
念仏堂を建てる
1719年
享保4
琉球組踊『執心鐘入』が初演される
1753年
宝暦3
『京鹿子娘道成寺』が初演される
1763年
宝暦13
三重塔を再建する
1821年
文政4
『宮子姫伝記』が作られる
1847年
弘化4
護摩堂が作られる
1982年
昭和57
縁起堂・宝仏殿が作られる
1991年
平成3
本堂を解体修理する
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下記のパンフレットも是非ご参照ください

道成寺由来書き(PDF)