安珍清姫物語に隠された感がありますが、道成寺にはその創建にまつわる「かみなが姫(藤原宮子)」の伝説が伝わっています。宝仏殿では、毎日その物語の説明を聞く事が出来ます。
大宝元年(701)、文武天皇はその夫人の藤原宮子の願いを受け、道成寺をお建てになりました。
宮子は、道成寺の言い伝えでは「髪長姫」とよばれる村長の娘であったとされます。
この言い伝えには賛否両論があり、色々な研究もなされましたが、
宮子の人生には今も多くの謎が残されています。
ここでは道成寺に残る『宮子姫伝記』という絵巻に従って紹介しましょう。
今から1300年前、 九海士(現在の和歌山県御坊市湯川町下富安)の村長に娘が生まれましたが、髪の毛が全く生えませんでした。時を同じくして、九海士の入り海に光るものが現れ不漁が続きました。髪の無い娘の母が海底に探りに行くと、小さい観音様が光り輝いていました。 |
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命がけで海底から引き揚げ、 毎日拝んでいると、娘にも髪が生え始め、 村人から「かみなが姫」と呼ばれる美少女に成長しました。その姿が都人の眼にとまり… |
かみなが姫は藤原不比等の養女として奈良に召し出 され、宮子姫という名を貰い、宮中に仕えることと なりました。 |
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宮子姫は、その美貌と才能を見込まれ、持統天皇 十一年(697)に文武天皇の夫人に選ばれました。 |
宮子姫は、黒髪を授けてくれた観音様と両親を 粗末な所に残してきた事を悩んでいました。 文武天皇は宮子姫がご恩返しをするための寺を 建てることを命じ、大宝元年(701)道成寺が 建てられました。 |
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